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森岡俊行の生い立ちと政治活動の背景
障害のある母は、私が五体満足で生まれたことを何よりも喜んでいました。
両親ともに母子家庭で育ち裕福ではなく、特に父は小学校卒業後に親元を離れ、東京で丁稚奉公をしながら中学時代を過ごしていました。
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私が小学校高学年の時、父は脱サラし事務用品販売の自営業を始めました。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代でしたが、東京ではバブルが崩壊し、将来が不安視されました。そのような中で、家庭の事情で中学校に進学できない同級生の存在を知りました。
豊かになったはずの日本で、自分よりも貧しい同級生の存在は衝撃的であり、日本を変えたいという強い感情が初めて芽生えました。
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国立大学を卒業し地元大手企業に入社。中途入社ではありますが、大卒の営業職候補として大きな期待を受けていました。製造現場でラインの管理、他の社員への指示出しを任されることもありました。
しかし、私には体温調整障害のような症状があり、夏が近づくと営業職どころか製造現場の仕事にもついていくことが出来ず、退職に追い込まれていきました。
暑さでぐったりとしていた私は、障害者枠の方と共に働いていたこともあり「悔しかったら診断書を取ってこい」とも言われました。しかし、大学病院等では診断を拒否され、職場では障害者以下として扱われ、退職後は一週間以上、手足の痺れや胸部の圧迫感の伴う寝たきりに近い状態が続きました。
寝たきり状態を脱した後、父から市議選出馬の提案がありました。自分の体では、たとえ当選しても十分な活動が出来ないと考えた私は、政治家への道を諦め、大学で学んだ経済の知識や就職氷河期世代としての経験を生かした社会起業を志しました。
プレゼン資料を用意し、企業や官庁に提案を行う活動の中で、予想以上の大きな反響と予想以上の日本経済の深刻な状況に直面することになりました。特に父親世代よりも大変な時代を生きてきたはずの戦前生まれの方々から涙ながらに言われた「今の子が可哀想だ。」という言葉に衝撃を受け、日本を変えたいという思いを新たにしました。しかし、資金は集まらず、貯金は底をつきます。
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上京し派遣社員としての仕事が安定し始め、ようやく社会活動に参加する余裕が生まれ始めます。
代表的な活動に、TPP反対運動、ACTA反対運動、原発反対運動があります。
私は、自分よりも頭の回転が早い方や知識が豊富な方が相手でも、議論で勝つことが出来ました。
どのような社会を目指すべきかを明確に示すことで、知識量によるマウントや、その場しのぎの発言をかわすことが出来ました。明確な方針を示すことで、活動をコントロールしていました。
私は代表と呼ばれるような立場ではありませんでしたが、活動の中心人物として朝日新聞の一面で報道されたこともありました。
東日本大震災後に仕事を辞めて活動に専念し、2012年7月に原発反対運動が大きな盛り上がりを見せたことが活動のピークとなりました。そして、その後の11月に、癌で闘病中であった母を亡くしました。
私は、政治家への道を諦め、社会起業に挫折、東京で市民活動家として大きな活動をしましたが、自分の組織を作ることは出来ず、自分の目標を実現することは出来ませんでした。
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釧路市の政治と選挙を変える
釧路市移住後は、今まで選択することが出来なかった水産加工や物流倉庫のお仕事をさせて頂いています。結婚し、2児の父にもなりました。
私は、家庭の事情でチャンスを奪われることのない社会、戦前生まれの方々に教えられた、希望に満ちた日本、人々の目が輝く日本を、釧路市から実現していきます。
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森岡俊行のプロフィール
生年月日:昭和56年9月3日41歳 富山県生まれ
最終学歴:静岡大学人文学部経済学科
所有資格:大型自動車第一種免許 フォークリフト技能講習修了
身長:172cm 体重:65kg
妻、長女3歳、長男2歳の4人家族。
就職氷河期に大学を卒業した私は、東京で様々な市民活動に関わってきました。そして今、釧路市から日本を大きく変えていきます。
子供達に本気の背中を見せる為に精一杯がんばります。
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